岐阜で始める C-BTE
(Church-Based Theological Education 教会主体の神学教育)
Q1 なぜ「聖書塾」なのですか?
A1 教会では「リバーサイド聖書通読」も行なっていますが、同時に、より聖書を「体系的に」学ぶ「聖書塾」も設けています。礼拝説教はもちろんのこと、このように御言葉を学び続けることにより、より確かな土台の上に、教会と個人の信仰を建て上げたいと願っています。「塾」であって「学校」ではありません。それは寺子屋のように弟子と師が膝を突き合わせる学びを大切にしているからです。
Q2 なぜ聖書を「体系的に」学ぶ必要があるのですか?
A2 自分で聖書を読んでいても、なかなか聖書の全体像はつかめません。長い間、神学は、牧師などの専門家が学ぶものだと思われてきました。でも本当は違います。信徒にも分かりやすい、神学の学びは、必要不可欠です。聖書全体を体系的に理解し、知的にも整理されることで、私たちの信仰生活は、さらに確かなものとなるでしょう。同時に、知識偏重でもなく、御言葉が生活の中に生きて働くことを目的とした学びが必要です。聖書塾はそのような学びの場です。
Q3 なぜ「教会で」学ぶのでしょうか?より学びたい人は神学校に行けばよいのでは?
A3 神学校ではなくて「教会で」、それがまさにこの聖書塾、最大の特徴です。もともと使徒の働きの時代では、家の教会を拠点として、宣教も教育も行われていました。しかしいつの間にか神学教育は、教会からも家庭からも切り離され、一部の人だけの、実生活とはかけ離れたものとなってしまいました。その様な訓練では、実践的な働き人を育てることができず、現代のキリスト教界は大きな壁に直面しています。その反省に立ち、家庭と教会に根差しながら、神学を学ぶという本来の姿を取り戻すというのが聖書塾の理念です。専門的な学びも必要です。しかしそれも、この「地域教会での学びと訓練」の基礎があればこそ、有益なのです。
Q4 なぜ「スモールグループ」で学ぶのですか?
A4 それは参加者が自分の頭で考え、他の人の意見にも耳を傾けながら、自然な語らいの中で学んでいくことを理想としているからです。信仰は「聞くこと」に始まります(ローマ10:17)。それは御言葉のことですが、人の意見に聞くことも同様に大切です。またそれこそが、使徒の働きに見る、本来の学びの姿です(使徒2:43-47)。